2007年11月22日木曜日

公文書の管理・保存・公開と歴史学:歴研総合部会例会

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。


歴史学研究会 総合部会 第二回例会
公文書の管理・保存・公開と歴史学
情報公開法施行後の現状と課題

日時 2008年112日(土) 13:30~17:30
会場 東京大学本郷キャンパス 法文1号館1F112教室(東京メトロ本郷三丁目駅より徒歩8分)
報告者
瀬畑源氏(一橋大学大学院社会学研究科後期課程・日本現代史)
「情報公開法と公文書管理問題―日本現代史研究者の立場から」
高橋滋氏(一橋大学大学院法学研究科教授・行政法)
「公文書管理体制と歴史研究のあいだ―情報公開法・個人情報保護法との関係で」
石原一則氏(神奈川県立公文書館・アーカイブズ学)
「地方自治体の公文書管理体制―神奈川県立公文書館の場合」(仮)
資料代:300円
主催:歴史学研究会

趣旨文
 歴史学研究会は1995年の総会活動報告において、「従来歴研は歴史学の社会的役割を研究と教育の二本立てで考えてきたが、今後これに加えて史料保存・ アーカイブズ機能の三本立てとする必要がある」(『月報』1995年5月号)という問題提起を行った。「アーカイヴズとは社会の共同記憶装置」(保立道久 「歴史学とアーカイヴズ運動」『アーカイヴズ学研究』No.1 2004年10月)であるとするなら、アーカイブズ問題は、歴史学の基盤の問題であると同時に、市民の歴史意識の形成にとって歴史教育と同等の重要性をも つものとして、歴史研究者が取り組むべき問題であろう。当会は、1997年大会で「史料の管理・保存と歴史学」と題する特設部会を開催したほか、本誌で 「アーカイブズの比較史」(2004年6月号)という特集を組むなどの活動を行ってきた。今回の企画もそれらの延長にある。
 2001年施行の情報公開法(「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」)は公文書の管理・保存・公開に関わる状況を大きく変えることになった。行 政機関は、保有する行政情報を原則として全て公開することを義務づけられたため、昭和天皇とマッカーサーの第1回会談の会議録が公開されるなど、多くの歴 史的に重要な史料が公開されてきた。
 しかし、その一方で、情報公開法施行直前に大量の史料が廃棄されるなどといった文書管理の不備の問題が、当初から大きく取り上げられていた。さらに、法 施行後、各府省庁から国立公文書館等に移管される公文書の量が激減しているだけでなく、そもそも重要な行政文書そのものが作られないといった問題も浮上し てきている(『日本経済新聞』2002年8月11日朝刊)。この問題の根本には、文書移管の決定権を国立公文書館ではなく各省庁が握っていることや、そも そも公文書のライフサイクル全体を統括する法律が制定されていないという問題がある。
 こうしたなか、政府部内において「公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会」が設置され、現状の問題点を総括し、改善のための提言を行ってい る(2004、2006年)。また「公文書管理法研究会」が公文書の作成から保存までを見据えた法整備の提言を行っているなどの動きがある。
 この公文書の管理・保存・公開の問題は、現在の歴史研究者にとっての歴史史料の公開というだけでなく、将来の歴史研究者のためにどのように史料を残せる のかという問題でもあるということを、深刻に受け止める必要があるのではないか。
 以上をふまえ、今回の総合部会例会では、情報公開法施行後の公文書の管理・保存・公開の問題点を整理し、それに対して歴史研究者が取り組むべき課題を考 えたい。まず、情報公開法施行当初から、歴史研究者として公文書の公開問題に関心を寄せてきた瀬畑源氏に、利用者の立場から国のアーカイブズをめぐる諸問 題を論じていただく。次に、前述の公文書管理法研究会座長である高橋滋氏に、行政法学の見地から、現在の国の公文書管理体制の問題点、それと歴史研究の関 係について個人情報保護の問題とも絡めながら論じていただき、あわせて「公文 書管理法」の構想についてもお話しいただく。さらに、神奈川県立公文書館の石原一則氏から、先進的な内容をもった神奈川県の公文書管理体制や情報公開制度 の経緯や現状をご報告していただくことで、国の公文書管理体制の問題点を地方から照射したい。

「男性史」は何をめざすか:歴研総合部会例会

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。


歴史学研究会 総合部会 第一回例会
「男性史」は何をめざすか
その現状と可能性をめぐって
2007年1215日(土):午後1~5時
会場: 大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス2F大会議室(東京メトロ神谷町駅から徒歩2分)
報告者: 阿部恒久兼子歩
討論者: 加藤千香子
主催:歴史学研究会
資料費:300円

趣旨文
 歴史学の「メインストリーム」では書かれなかった女性の経験を記述しようという思いは、女性史研究を登場させた。さらに、性差及びその構築に対する関心 がジェンダー概念の創出へとつながり、「女性性」「男性性」が歴史のさまざまな場面で構築される過程を検証する「ジェンダーの歴史学(ジェンダー史)」が 誕生した。それ以来女性史、ジェンダー史の多くの研究が蓄積され、社会的な認知も深まってきといえる。
 しかし、それに対して男性性/マスキュリニティ、男性史という言葉はあまり市民権を得ているとは言い難い。しかし「慰安婦」問題や男性労働を中核とした 企業のあり方といった、現在関心を集めている問題を考える上でも、またジェンダーの権力関係を男性の視点から考察して、歴史全体の再構築をめざす意味にお いても、これまでの男性性/マスキュリニティを問い直すことは、重要な意味をもつようになってきている。そしてこうした男性性/マスキュリニティの規範と 実態を探るためには、それらがどのような過程で構築されてきたのか歴史的に考察することが求められているのである。
本例会ではこうした視点に立って、「男性史」の現在と将来、その可能性というものを検討してゆきたいと思う。「男性史」の対象や方法とは何なのか、「男性 史」は女性史、ジェンダー史とはどこがどう変わってくるのか、またそれぞれの間の関係とはいかなるものなのか、さまざまな見解が存在する中で、活発な議論 を通して「男性史」の可能性というものを探ってゆきたい。
そして今回は特に、先に刊行された阿部恒久・大日方純夫・天野正子編『男性史』第1~3巻(日本経済評論社、2006年)を男性性/マスキュリニティを議 論してゆく際の材料、土台として取り上げることとする。しかし、単にこの『男性史』の批評にとどまらず、男性性/マスキュリニティとは何か、今、なぜ「男 性史」ついて取り上げるのかといったことを議論してゆくことを主眼におく。そこで報告者の阿部恒久氏には、『男性史』の編者として同書の企画の趣旨、めざ そうとしたことについ話していただく。さらに国際比較の視点から、もう一人の報告者の兼子歩氏には、アメリカ史における男性史研究の現状と課題といったこ とを紹介していただく。各時代、各地域ないし国家において、いかに男性性/マスキュリニティといったものが構築されてきたのかということを検討し、それぞ れの歴史的過程の多様性と共通性を抽出してゆくことに よって、男性性/マスキュリニティの多様な現実と規範が考察できるのではないかと考えるからである。またその分析の際には、性に関するさまざまな既存概念 の再検討をめざすクィア理論の視点にも留意したい。そして討論者の加藤千香子氏には、日本における男性史研究の現状と課題とその中での『男性史』刊行の意 味について話していただき、さらに男性史研究の意味と可能性についても触れていただく。

2007年11月8日木曜日

現代都市を生きる感性と歴史学:東京歴史科学研究会

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。


東京歴史科学研究会
2007年12月「歴史科学講座」のおしらせ

*絶えず社会との緊張関係を意識しつつ、研究の新領域を切開してきた成田氏に、現在の問題群と最新の展望をめぐって講演していただきます。

【講 演】成田龍一氏 (日本近代史/日本女子大学教授)
     「現代都市を生きる感性と歴史学 −戦後歴史学と都市史研究−」
【日 時】2007年12日(土)14:00〜(開場13:30)
【会 場】立教大学(池袋キャンパス)5号館5307教室(3階)
【参加費】600円
【連絡先】東京歴史科学研究会
     〒114-0023 東京都北区滝野川2-32-10-222(歴史科学協議会気付)
      TEL/FAX 03-3949-3749
      e-mail torekiken@gmail.com
詳細は本会ウェブサイトにも掲載いたします(http://wwwsoc.nii.ac.jp/trk)

2007年11月6日火曜日

「医療の国民化」を考える:民衆史研究会大会シンポ

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民衆史研究会2007年度大会シンポジウム
「医療の国民化」を考える
——現代史のなかの医療と民衆

<報告>
中村 一成(一橋大学大学院)「戦前・戦時の都市医療」(仮)
鬼嶋 淳(佐賀大学)「占領期日本における医療運動の展開」(仮)

<コメント>
高岡 裕之(関西学院大学)

日時 2007年121日(土) 総会12:30〜 大会13:00〜

会場 早稲田大学文学部 36号館6階 681教室

参加費:300円 ※終了後、懇親会あり

[詳細情報]民衆史研究会

<開催趣旨>
 グローバル化とそれに対応した新自由主義政策が進行している昨今、“福祉国家”の変容・解体が様々なレベルで議論されている。日本社会においても、年金制度や健康保険制度のゆきづまりが問題化されているのは周知の事実である。こうした“福祉国家”の大きな変貌を前にして、近年これを学問的に再検討しようという動きが強まっている。「福祉国家」と名のつく書籍を探してみれば、社会政策や社会福祉の研究はもちろんのこと、社会学や歴史学の分野においても、同問題に対する関心が高まりを見せていることが分かるであろう。国民健康保険をはじめとする医療の問題は、そのなかでも1つの焦点をなしている。
 近年の医療制度改革の流れのなかで、国家が国民すべてに医療を受ける権利を保障するという従来の政策枠組はその根底から揺るぎつつあるが、そもそも日本において、医療の受け手が国民的規模に拡大していくこと——本シンポジウムではこれを「医療の国民化」と呼ぶことにしたい——が進行したのは、第一次世界大戦後以降、なかんずく1930年代から40年代にかけてのことであった。国家総力戦体制の構築過程で、国民健康保険法(1938年)、国民医療法(1942年)といった重要な法律が公布・施行され、「健民健兵」育成のため国民に“健康”の義務を課し、そのための監視体制を全国的に網羅することが国策として目指されたのである。こうした「医療の国民化」は、“人的資源”を国家目標に合わせて動員するためのひとつのテクノロジーであり、人々を“有用性”の基準で峻別・序列化する機能を担っていた。
 戦後社会においては、“健康”は権利としての位置づけ(憲法25条)を得て、医療制度の受益者は格段に広がっていく。しかし同時にそれは、健康(健全)/不健康(不健全)という戦前以来の価値体系を引き継ぎつつ、“健康”の規格をくりかえし再生産していく過程でもあった。とりわけたびたび行われる政府や民間の健康キャンペーンは、個人が選び取っているかのように見える“健康”のための努力が、国家的な要求と密接な関係にあることを示唆するものであった。
 このように概観してくると、戦間期以降の医療の普及の歴史は、常に国民国家への統合や動員と分かちがたく結びついていたことが分かる。しかし、こうした理解には一方で大きな疑問も残る。そもそも医療制度の充実というのは、民衆の切なる願いだったのではないか。社会政策史の相澤與一は、戦時期における国民皆保険化の状況について、「医療窮乏に苦しむ農民たちの痛切な必要と要望を反映し、それらが組織され吸収された側面もあったはずである」と指摘している。「医療の国民化」は、国民統合の契機としての側面を持ちつつも、同時に、民衆の切実な医療要求との連環の中に位置づけられるものなのではないだろうか。とするならば、民衆の運動や意識状況の側に足場を置いて、もう一度「医療の国民化」の様相を捉え直していくことも必要であろう。
 そこで本シンポジウムでは、これまで制度史、政策史的な観点で捉えられることの多かった1920年代から1950年代にかけての時期の「医療の国民化」について、地域社会や社会運動、民衆の生活実態といったファクターに即して考えてみたい。そうすることで、動員や規律化といった概念には単純には収斂しえない、医療と民衆の関わり方の具体像を描き出せるのではないかと考えている。
本シンポジウムがポスト“福祉国家”を見据えていく上で、何らかの手がかりとなれば幸いである。

2007年11月4日日曜日

シンポ「アジアにおける国民国家構想」のお知らせ

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。


シンポジウム
アジアにおける国民国家構想

日時:2007年128日(土)、開場9時20分・開場9時50分

会場:早稲田大学戸山キャンパス34号館453教室

問題提起:
趙景達「アジアにおける国民国家構想──朝鮮を中心に」

報告:
檜皮瑞樹「19世紀後半の日本における北進論と国民国家構想」
田中比呂志「近代中国の国民国家構想──清末民初の地域エリート等の構想を中心として」
今井昭夫「20世紀初頭のベトナムにおける開明的儒学者達の国民国家構想」
ジャン・H・エルキン「トルコにおける国民国家構想と近代日本の接点──ツーラン主義の日本における展開」

コメンテータ:金井隆典・朴花珍、討論司会:慎蒼宇・中嶋久人

主催:大学共同利用機関法人 人間文化研究機構、共催:アジア民衆史研究会

事前のお申し込みは必要ありません。お気軽にご参加ください。

[詳細情報]

近代西欧で誕生した国民国家は瞬く間に伝播していき、アジアにもその採用を迫るに至った。西勢東漸の波濤は、伝統的世界に浸るアジア諸国家にさまざまな葛藤を生み出し、アジア諸国家は植民地化を免れるべく、必死の営為をしていく。結果として、第二次大戦以前国民国家の建設に成功を収めたのは、アジアの東端である日本と西端であるトルコであり、タイも一応の独立を維持することができた。中国の場合は半植民地化の中から国民革命を目指したが、他のほとんどの国々は植民地に転落した。

このようにアジアにおける近代の道程は明暗を分けるに至ったが、「アジアにおける国民国家構想」と銘打つ本シンポジウムの意図するところは、各国でさまざまに営為された国民国家構想を比較検討することにある。その際、国民国家の建設に成功を収めた日本などを理念型として括りだし、他をその基準に合わせて評価していくというような近代論的な方法をとらないのは言うまでもない。日本もまた、国民国家建設の成功の裏でさまざまな矛盾や問題を抱えるに至ったのであり、それが何であるかを問うことがむしろ重要な課題である。国民国家構想の違いには、伝統思想や伝統文化との葛藤の深度が大きく規定する要因となったものと考えられるが、そうしたことを探り出していかなければならない。現在世界はグローバリゼーションの波に洗われ、国民国家は揺らぎを見せているにもかかわらず、逆にそうであるがゆえにその強度が増しつつあるという皮肉な状況下にあると言えよう。しかし、その表れ方も一様ではない。本シンポジウムは、そうした現在的な課題を十分に念頭に置きつつ進めていきたい。かつて竹内好が提起した伝統との葛藤にまつわる「回心文化」と「転向文化」の問題は、決して古びたものとなっていない。伝統は、国民国家体系を当為とする現代世界にあってなお、人々の行動や思惟などを拘束しているのが現実である。日本の「転向文化」もまた、伝統のあり方のゆえに可能であったとも言うことができる。

本シンポジウムでもっぱら取り上げる事例は、日本・中国・ベトナム・トルコである。これらは国民国家に成功を収めた国と半植民地となった国、そして完全植民地となった国に分けられるが、この四国は相互に影響を被りつつも独自な国民国家構想を営為した。全三者は同じく儒教文化圏に属しているにもかかわらず、その国家構想は分岐している。また、トルコは日本とはるか離れた地に位置しながらも日本のアジア主義と関係を持った。本シンポジウムでは専論としては扱わないが、朝鮮の国民国家構想とアジア主義への対応の仕方も問題としないわけにはいかない。

教科書問題というやっかいな問題もある中で、以上のような課題意識を持つ本シンポジウムは、単に学術的であるばかりではなく、それなりに実践的であると自負するところがある。多くの人々とともに大きな議論ができることを期待したい。